隅田川・荒川・江戸川ってどういう位置関係?(1)
2020年の暮れ、用事のついでに歩いてみました。
これから書くことは、当該地域に住んでいる人にとっては片腹痛いもので、「知らなかったの?」と逆に驚くこともあると思います。
自分自身、横浜という遠くない所に住みながらこんなにも分かっていなかったのかと愕然としました。
隅田川・荒川・江戸川は東京湾に注ぐと思うけれど、どのように並んでいるのか?
江戸時代に下町と呼ばれたあたりの河口付近を歩いてみようではないか。
という訳で、歩いた順番をもうここに書いちゃいます。
隅田川 → (東西方向に伸びる小名木川を辿る) → 旧中川 → 荒川 → 中川 → (東西方向に伸びる新川を辿る) → 旧江戸川 → 江戸川
なんか、シンプルに3本の川を渡ることを想定していたら、中川というやつが新しく加わり、さらに新とか旧とかそれぞれの川に付いていて、たいへんでした。
まずは隅田川を渡り東へ向かいます。
この日は清洲橋を渡りました。
清洲橋の近くに江戸時代、東のお米や塩などを江戸へ運ぶために東西方向に掘った小名木川という運河がありまして、せっかくなので辿ります。
ちなみにここから1kmぐらい隅田川を北へ上ったあたりが両国で、江戸時代は武蔵と下総の国境だったから「両国」といったらしいですね。
どう見ても東京の真ん中やろと、今から見るとそういう場所ですね。
両国に近いからでしょう、高田部屋と尾車部屋が小名木川沿いにありました。
相撲部屋ってなんとなく和風建築をイメージしていたのですが、どちらの部屋もキュービックなマンション風でした。さすが都会です。
小名木川はキュービックな都心の建物の間を流れます。
東西方向に伸びる小名木川を辿っていると、南北方向に有名な河川以外の水路もあって、クロスしたりするんですね。
水門があったりして、なるほど水位を調整して街が守られているのですね(ざっくりとした理解)。
ずんずどんどん東へ歩きます。
てくてく
川のまっすぐさも住居の形も、四角くすると一番効率がいいよね、これが都心なんだね、と考えながら
やっと小名木川の西端です。
ここで旧中川と合流します。
この地点に中川番所があったそうです。
この旧中川を渡って土手を越えると、The 荒川となります。
大河なり、荒川。
船堀橋のたもとより。
さらに驚くことに、荒川のすぐ東を中川が並走しているのです。
川たち何やってるの?
荒川と中川が併走しているところをうまく収められなかったのですが、下の写真は中川、右側の高速道路の向こうが荒川です。
今回歩いてみてつくづく江戸は水都だと感じた訳ですが、この川の絡み具合は絶えざる治水事業の結果なのでしょう。
川は昔からそこにあったように見えるけれど、紆余曲折がありました。川だけに。