歴史の小径

食ブログで書ききれなかった歴史と散歩の話

隅田川・荒川・江戸川ってどういう位置関係?(2) 完結

前回(1)の続きです。今回で散歩は完結します。

旧中川・荒川・中川と連続して東へ越えた先が江戸川区なんですね。

気がつけば江戸川区・船堀に来ていました。

 

荒川・中川を渡ったら、船堀から東へ伸びる新川を辿って江戸川を目指すのでした。

東西方向の水路は、荒川・中川を境に小名木川から新川へバトンタッチです。

 

船堀という地名はその新川があるため、船が出入りする堀という意味から来たらしいです。


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新川、なんかいいじゃん。


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しかし水たっぷりすぎない?

そりゃ大都市・東京の歴史ある地域だから対策はしてあるのでしょう。

たゆたう水と水辺の美しさは、今回辿ったコースで随一でした。


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江戸時代から明治・大正に至るまで、水路沿いにお店が出て賑わっていたのですね。


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昭和に入ると船は使われなくなり、

さらに高度経済成長期に地盤沈下して一旦人々の生活から遠ざかった。

しかし、平成に入ってから整備して今の姿になったと。


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新川の東端は、江戸川に合流していると思いきや、土管から水が流れ込む風景でした。

何らかのハイテクな技で水を制御しているのでしょう、たぶん。

 

しかも新川の東端は、江戸川だと思ったら旧江戸川でした。

存分にデカい川ですが、ほんまもんの江戸川と違うのですか。


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そこからまっすぐ東へ渡る橋がなかったので、少し北上して、一旦新中川を渡ってから旧江戸川を渡ります。ややこしい。
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瑞穂大橋の地点で新中川と旧江戸川が合流します。

瑞穂大橋で新中川を渡ってすぐに新大橋で旧江戸川を渡ると、


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えっ


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えっ千葉?

もう?


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てっきり、この先にある江戸川を渡った先が千葉だと思っていました。

だって「江戸川」ですよ?

この散歩で一番の衝撃でした。


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旧江戸川を横目に見つつ少し辿りつつ、行徳を目指します。

行徳は江戸時代の塩の集積地であり、河川と運河を利用して江戸のほうへ運んだらしいです。

 

行徳駅前はあまり塩っぽいものは見られませんでした。


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行徳を過ぎ、あとは本ちゃん(「旧江戸川」に対して)の江戸川を渡れば今回の旅も目的は達成です。


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どの道を辿るのがいいのかな?

スマホで地図を確認すると、気になる道がありました。


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この細かい折れ曲がりはあやしいですぞ。


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お寺や神社と住宅の合間の細い道が折れ曲がって続いていました。

こういうのが見たかった。

お寺がずいぶん多いのです。

 

途中で解説の看板がありました。


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家康公が鷹狩に行くときに立ち寄った、という伝承ですと。

そして、江戸時代初期はこのあたりがメインストリートであったと考えられると。


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江戸時代初期、ということは、さらに時代がすすんでそれこそ河川が整備されいよいよ水路の役割を担うようになると、街の中心はもっと川沿いに近づいたのかな?

 

などと考えつつ、いよいよ江戸川を渡ります。

その名も行徳橋でした。


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橋に並行して可動堰があり、巨大メカっぽくてカッコよかったです。


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↓これが江戸川(行徳橋から上流方向、可動堰の逆)だ。

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という訳で江戸川を渡りきり、最寄りの本八幡駅から電車に乗ろうとしたら、行徳橋と本八幡の間に高速道路が複雑に通っていてなかなか辿り着けませんでした。

 

最後でタイムアップが迫ってきて、回り道して3kmほど走り続けました。

20km以上歩いてからの3kmダッシュで、

「私けっこういけるじゃん」

と思いつつ、本当は本八幡の街をもっと見たかったと後ろ髪を引かれつつの帰投となりました。

 

水路も高速道路も複雑、これが現代の東京湾岸です。

水路なんかは江戸時代の直前から、網の目のような河川と湿地帯を考えて制御して管理して、もしかしたら日本の河川の特徴を鑑みると世界で一番の蓄積と緻密さがあるのかもしれない、などと考えつつ。いや実際に考えたのは帰宅後ですけれども。

 

そのような散歩でした。