歴史の小径

食ブログで書ききれなかった歴史と散歩の話

毛利元就ダイジェストを書いて気がついたこと

今回の記事は、前回の記事で初めて歴史上の人物のダイジェストを書いてみて気がついたことあったので、それを書き留めるものです。


毛利元就をほとんど知らない人間が簡略な生涯なんて書いてしまってファンに怒られないかなとおそれつつ、様子をみております。


<気がついたこと>
・削るのが一番大変
・焦点を絞らざるを得ない

 

毛利元就さん、ボリューム大です。


特に、生涯で戦は大小無数にあった訳で、それはもう書ききれないので5つほどに絞りました。しかも勝敗の結果しか書いていません。

智将や謀神と呼ばれた元就なので、1回の戦でも膨大な描写になり得ることでしょう。

また、戦と戦の間にも謀略の伏線が張られていたことでしょう。

戦を書かずして毛利元就は語れないという向きもあるかもしれません。そうかもしれない。


登場人物も絞りました。家族と、敵対勢力の当主と、あとは腹心の志道広良さんのみです。

江良さんや山中鹿介は出したい気持ちもありました。


結局、家族をメインにしました。 


家族関係を見るだけでも、すさまじい生涯だったことが分かります。
3歳で実母と死別し、10歳で実父が、そして唯一頼りにしていた兄まで元就が20歳のときに亡くなり、最も近しい肉親を幼少~少年~青年期に相次いで喪った訳です。
サバンナの真ん中に放り込まれたような状態です。
しかも、守らなければならないのは自分の命だけではありません。幼い甥っ子と毛利家と家臣たちを、巨大な勢力の狭間で守らなければならない。頼れる肉親を全て亡くした状態で。


というのが前半生で、結婚して子供ができてから、そりゃもう子供を可愛がったんだろうと思います。
嫡男の隆元には2度も隠居を止められて、言うこと聞いてますからね。
さらに、陶氏と袂を分かつ段では自分の意見を引っ込めて隆元の方策を採用しましたね。
隆元が突然死去したときは我を忘れるほどショックを受けました。
他家に養子に出したはずの次男・三男も結局は我が家の子に、家ごとなっちゃいましたからね。「毛利両川」って、ねえ。


だからもう、孫の輝元をどれだけ愛したか。
当時の平均ではとっくに寿命が尽きた年齢でも、輝元が「隠居しないで」とお願いすれば聞き入れちゃうんですよ。


もしタイムトラベルできるなら、元就さん家の縁側で、孫がどれだけ可愛いか話すのをひたすら聞いていたい。


生涯をまとめた結果、そんなことを思いました。


f:id:baroclinic:20210218211954j:image