歴史の小径

食ブログで書ききれなかった歴史と散歩の話

横浜

横浜の豊顕寺と多米氏のこと (4) 時代と巡り会いの妄想

横浜市の三ツ沢にある豊顕寺の説明板にある、北条氏家臣の多米氏についての考察、第4弾です。 今回の記事は、横浜に城をもらった多米元興が隠棲して1551年に豊橋から横浜へお寺を移転していたとしたら、という仮定のもとで想像を膨らませる内容です。 (上記…

横浜の豊顕寺と多米氏のこと (3) お寺の移設の時代について

前回の記事で、動乱の時代を生きる父から子への思いという仮説をもって良い話のようにまとめたのですが、ここで再々度、豊顕寺の説明文を確認しましょう。 当寺は、法照山と号す法華宗陣門流総本山本成寺末の寺院です。 三河国多米村(現愛知県豊橋市多米町)…

横浜の豊顕寺と多米氏のこと (2)

前回の記事では、横浜は三ツ沢の豊顕寺にある説明文から多米氏の足跡をイメージにしました。 もう一度説明文を載せましょう。 当寺は、法照山と号す法華宗陣門流総本山本成寺末の寺院です。 三河国多米村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提の…

横浜の豊顕寺と多米氏のこと (1)

史跡にある説明を読んで、そのときは分かった気になるけれども、再び訪れて同じ説明を読むとまた「ふーん」と同じことを分かった気になる。 つまり理解していないのです。 文章が悪いのではありません。 その場では文章として理解した気になっていても、文章…